ハプニング(M・ナイト・シャマラン)

 世間の評判がかなり芳しくないので結構覚悟して鑑賞に臨んだのですが・・・結構好きな路線でした。
 出所が異なる宗教なのにモチーフが共通していることがあるように、或いは同じ趣旨の諺が別の文化的土台から導き出されるように、人間の「原初的な記憶」というものはある程度共通しているのではないでしょうか(例によって大きく出てみました)。このブログの感想でよく書くのですが、原爆や巨大隕石や、宇宙怪獣でもよいのですが、そういう常軌を逸した存在が迫っていて、「そのグラウンド・ゼロから果てしなく逃走する」というのはある種の悪夢の定型ですよね。憶測と推量だけで断ずると、シャマランは自身のそういう悪夢とその空気を映画に再現していたのだと思います。そしてそうならば、それは実によく成功していた。
 ですから、「カタルシスや整合性を作品に求める向きには好まれなかった」というのはよく分かる話で、この作品を支配しているのが「夢の論理」だったからではないでしょうか。全体は茫漠としているのに、空気が漏れる車のキャンバストップとか、倉庫と母屋をつなぐ伝送管といったディテール描写は生々しい、というように細部が突出しているのもその印象に拍車をかけていました。というか、「何かからとにかく逃げる」という映画(『クローバー・フィールド』等)が僕には大好物なだけなんだけど。
 というのも実は前振りで、一番書きたかったのは主人公みたいな大人になりたかったのに・・・ということです。自分自身も不安で一杯なのに、「この場でのしかるべき振る舞いは?」という社会的なそして自らの規範に支えられながら、どうにか状況と戦う主人公。時々ちぐはぐなのも含めて愛おしい。自分の年齢のせいか、レグイザモ演じる友人も含めて、そういう視点に引き寄せて観てしまいました。
☆☆☆1/2
ブギーナイツの人、と思うとおかしいけれど。