ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)

 どうもネット上の感想を読んでいると、旧来の訳である清水版との比較で「あり」か「なし」かを問うものが多くて、村上春樹というビッグネームの翻訳であることの反動ゆえ仕方ないとも思うけれど、一方でストーリーについて言及しているものがあまり見られないのはどういうことだろう。ハードボイルドの定番で、ある種の古典だからそれについてはあえて語るまでもないということだろうか?しかし率直にいって、真犯人の言動や動機が僕にはよくわからなかった。いやもちろん理屈としては分かるのだけど、言い方を変えるなら、「ためにするどんでん返し・サプライズ」があまりにも多くなかっただろうか?
 不勉強で知らなかったのだけど、(この作品の存在自体がクラシック化しているため分かりにくいけれど)そもそも「ブラックマスク」などのパルプ雑誌に掲載されるような探偵もののパロディというかジャンルのリファインとして書かれたものなのだそうで。だからうがった見方をすれば、あえてそういう部分も踏襲しているのかも知れないけれど。(そういえば完全なるパロディとしては、ブコウスキーの『パルプ』が無茶苦茶ふざけてて面白かったことを今思い出した。)
 それはそれとして、肝心の訳者あとがきも小説作法みたいな方法論に終始していて、読み物としては興味深くて充実していたものの、物語についてどう考えているかについては喰い足りない印象が残った。物語に関して書いているようにみえて、『グレート・ギャツビー』との相似性というこれまた形式について語っているだけだから。
 ところで、村上作品の「気が利いた比喩」って所謂「ワイズクラック」の変奏だったのだということがようやく腑に落ちたのだった。相当いまさらな感もあるけれど。というか知識としては知っていたのだけど、今まではヴォネガット的な側面に目が行ってたもので。考えてみたらハードボイルドな主人公だもんな。迂闊。
 とにかく名文、警句の宝庫。「ギムレットには早すぎる」みたいに、そういえばこの小説の名文句だったよな、というものが次々と。定番だけにそういう決まり文句に手を加えることへの読者のアレルギーも大きかったのかも。でもto say goodbye is to die a little.の訳については「さよならをいうのはわずかの間死ぬことだ」(清水訳)より「さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ」(村上訳)の方が個人的には正解だった。そういう気分なので。
☆☆☆1/2