25時(デイヴィッド・ベニオフ)

 厳冬のNY。麻薬取引で逮捕されたモンティは、収監を前にして親しい人々との最後の夜を過ごす。刑期は7年。タイムリミットの24時間は刻々とすぎていく。彼を迎える人々の胸を去来する思いは?
 作者は様々な職を転々として(EX.用心棒、学校教師、DJ)小説家になった人ですが、実はセレブのボンボン(出自を積極的に語らないところが、ちょっとスパイク・ジョーンズみたい)。しかし地に足の着いた筋運びで、いいとこのボンボンの余技どころではない骨太さ。
 その一方、やっぱり(いい意味で)おぼっちゃんなのだなと思わせるのは、作者の登場人物に対する距離感。この小説は実は紹介文から想像されるような主人公の一人称視点ではなく、彼に関わる人々が話者として次々と入れ替わる、群像劇のスタイルで書かれています。さて、なまじな書き手だと「一日にして天文学的な高額を稼ぐ派手な暮らしのディーラー」やあるいは反対に「裏社会に生きる麻薬売人」に対して自ずと屈折した筆致になりがちですが、この小説ではキャラクターの描き方に一種の鷹揚さがあるんですね。父親ゴールドマン・サックスの社長だったというバックグラウンドを知ると、腑に落ちる感じがします。
 主要登場人物は、その世界では知られたドラッグ・ディーラーであるモンティ、その親友である投資銀行トレーダーのフランクとしがない高校教師のジェイコブ。個人的にはジェイコブに寄り添った視線で物語が描かれているように読めたのですが、特定の誰かに肩入れするでなく、人間誰しも言い分があるというように、彼らの収監されるモンティに対する愛憎半ばする思いには極めて説得力があります。
 「学校卒業後、それぞれの道を進み始めた友人達が、ある理由から再会するが、結局同じ場所には戻れないということを認識して、今度は青春時代から卒業することになる」というある種典型的な物語(EX.『子猫をお願い』)を非凡なものにしているのは、やはりどんな立場の人間も血肉の通ったリアルな存在として造型できる作者の手腕。映画脚本だけじゃなくて、もっと小説を書いてほしいものです。
☆☆☆☆1/2
※結末のモンティとフランクのやりとりが「あ・うん」の健さんと坂東英二みたいで泣けた・・・