犬にもなれない男たちよ(アーウィン・ショー)

学生時代、所謂ニューヨーカー派の作品を集中して読んでいた時期があって、ショーの作品に出会ったのもその中の1冊としてだった。「洗練された都会小説」というジャンルではどうやってもアメリカ作品に敵うものが日本にはない。それはその国の文学の成り立ちにかかわるものだから仕方がない、というか僕がイメージしている狭義の「都会小説」はおそらく米文学の1ジャンルとイコールだから、どうやっても日本では成立しないもののような気がする。(もちろんそれは作品の質といったものとは無関係だが。)

ところで村上春樹を読んでいたのもその頃だけど、都会的な空気を文章に定着させるというニューヨーカー派のスタイルよりも、固有名詞や数を突出させるという春樹作品のある種トリッキーな手法(初期の)はやっぱりヴォネガットとの血縁関係のほうが濃いような気がしていた。これは全くの余談だけど。

さてこの作品だが、実はショーの長編を読むのは初めてであります。ジョールダーシュ一族のクロニクル、後編。前作「富めるもの、貧しきもの」の一族のその後を描いた物語だが、前作を読んでいない。パン屋を営む貧しいアメリカ移民の家族、その一家の子供たち(姉と二人の弟)が三者三様の人生を歩んでいく。今作ではさらにその息子たちに焦点が移される。

都会小説的な要素は後退していて、年代記ものの定番の構成を採っているが、さすがにストーリーテリングの名手だけあってついついのめり込む。「一族の物語」といえば血縁同士の諍いがどうしても読ませどころになって、個人的にはそんな話をわざわざ読みたくない方なんだけれど、「テロ活動と巻き込まれ型サスペンス」や「ハリウッドデビュー」、「殺人犯と復讐」のようなキャッチーな要素が無理なく溶け込んで、それが物語にドライブを懸ける。

好みは人それぞれだと思うが、女性作家による「一族にまつわる物語」(渡鬼?)は本当になんでわざわざこんなしんどい話を空想世界でまで繰り広げるんだろう、逆に感心するな。とダフネ・デュ・モーリアのある作品を読みかけて最後まで読み通せずに断念したところだったから、男性作家との違いというものはやっぱりあるものだな、と改めて思った。

☆☆☆☆1/2