荒野のストレンジャー(クリント・イーストウッド)

イーストウッドの「恐怖のメロディ」に次ぐ監督第2作。そのせいか一筋縄ではいかない西部劇になっている。

以前逮捕した無法者が刑期を終え、復讐に戻ってくることを戦々恐々としている小さな町に素性の知れないガンマンがやってくる。腕前を見込んで、市長は彼を用心棒として破格の待遇で迎えるのだが、ガンマンの横暴ともいえる要求に町の住民の中で不協和音が生じ始める。そんな中、ついに無法者たちが現れた・・・

とにかく、イーストウッド演じる主人公を含め善人はほぼひとりも登場せず、勧善懲悪的なカタルシスは最後まで訪れない。クライマックスの決闘ですら暗闇の中で闇討ち的に「片付ける」印象が強い。(だから仕掛人的な格好よさは一方ではあるけれど。)

必要以上の権力を行使する用心棒を新たに雇った用心棒に片付けてもらう、この町が過去にそれを繰り返してきたという経緯から明らかになるのは、悪の元凶は結局住人のエゴであるということ。そのため主人公である謎のガンマンの目的は、最終的には住民たちごと町を葬り去ることである。(これは決戦を前にして町の建物を真っ赤に塗らせ、町名を示す看板を「地獄」と書き換えさせることで、画的にも明確にされる。)あるサイトでキリスト教に関する伝説との類似性について言及しているところがあったが、なるほどと納得した次第。

あえて西部劇にこういうストーリーを持ってくるというのは73年という時代性もあるのだろうが、それよりもやはり「許されざる者」にもみられたようにイーストウッドの監督としての資質がそうさせるのだろう。