いまさらビルド

 ビルドというのは前作の仮面ライダーのことなんですが、というのは前々作であるエグゼイドでも同じような書き出しで備忘録を付けたのだけど、この2作を通して見てきて気付いたことがあったので書いておきます。

 結論、クリフハンガーの技術を洗練することに主眼があって、テーマなどは割と二の次なんだな、ということ。実際、毎回残り5分くらいでの「引き」の巧さで「え?どういうこと?」となって、ついつい子どもと一緒に全部見てしまったのだけど、結末まで見てしまった今から振り返ると、辻褄が合ってなかったり、サプライズのためのサプライズ演出であった要素も多かったことに気が付きます。「火星が滅んだ理由は?」「パンドラボックスとは?」「3国分割は如何にして収拾されるのか?」といった第1話で提示された、云わば三題噺的な要素は一応消化されたものの、蓋を開けてみれば、あ、その程度の話だったのね、というものでした。(印象としては、物体消失や密室ミステリのネタが割れたときのガッカリに近い。)

 ただ補足するならば、「クリフハンガーの技術の洗練」と書いた通り、主題歌の省略や配置換え、次回予告の提示仕方など、パッケージを含めて工夫が凝らされていて、その点だけは素晴らしかったと思います。ただもうちょっとテーマに対して真摯な姿勢で臨んでくれたらな、というのが正直な感想でした。

オートマタ(ガベ・イバニェス)

 最近アマゾンプライム映画で落穂拾いしてることが多い。この映画もそんな感じで鑑賞したのですが、意外なほど良かった。

 話は終末的世界でロボットが自我に目覚めるという、(まあ低予算と相性がいい物語ということもあると思うのだけど)過去に何回となく作られてきたようなSF。

 人類を継ぐ存在がロボットでなぜ悪い?と主張するその象られた存在の見栄えがすごくチープなのが(今だったらCGなんだからいくらでもそれらしく作れると思うのだけど)逆に面白かった。

 ただ、人類は遅かれ早かれ滅びるしかないという諦念滲む世界にあって、それでも今は生きていこうという主人公たちの意思が、不思議なほど余韻を残します。点数にすると3なんだけど、点数化できない部分に味があって好きでした。

☆☆☆

インクレディブル・ファミリー(ブラッド・バード)

語るべきエピソードがないのなら、あえて作らなくてもよかったのでは・・・というのが正直なところ。(商業上の要請ゆえ、というのは当然あると思うけど。)

アクションは盛りだくさんなんだけど、贅沢なことに、観客(私)は大概の事には慣れてしまったということなんでしょう。前作にはあったマジックがここには見当たらなかった。

☆☆☆

 

古森の秘密(ディーノ・ブッツァーティ)

 最近、何を読んでもあまり心を動かされることがなくて、年を取って感受性が磨滅してきたのか…残念なことだな、と思いなしてきたのだけど、久しぶりに読書で感動しました。

 初期作品だけあって、ディテールの異様なまでのクリアさ、突き放すような冷徹な視線、冷え冷えとした寓意、といった作者の特徴は控えめで、割とクラシカルな作り。しかし中編(というか児童文学だから?)のボリュームなのに物語中起こる事象の変転がダイナミック、それでいてリリカルだった。経験したはずのないことなのに、自らのかつての体験のかけらを反芻するような感触。

 主人公たる大佐、大風のマッテーオといった怪物的な登場人物は、しかし内側に人間的な俗欲を抱えていてそれが脆さ、弱さとなっている。しかも専制的な振る舞いの裏側では正しくありたいと渇望もしていて、その二面性が魅力的。(この二面性についてはあらゆる登場人物に及んでいて、その一筋縄ではいかないところが読ませどころになっている。)

 詩や自然描写の静的な通奏低音がある一方で、風同士の谷の支配権をめぐる戦いの描写も面白く、活劇的な躍動感もある。テーマと物語構造が一致する作品構成も見事。

古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)

☆☆☆☆1/2

いまさらエグゼイド

 エグゼイドとは前作の仮面ライダーのことですが、正直途中までは結構期待して見ていたのです。(結局最後まで面白く見はしたのだけれど。)子どもに付き合って見てただけだから、ディテールは私の妄想による補完も大きいので、それくらいの感じで読んでいただければ。

 期待していたというのは、1.ライバルのパラドが主張する「ゲームの敵キャラだからって、創造主だからといって、好き勝手にできるなんて思いあがるな」という部分は『ブレードランナー』のバッティの主張に響き合うものを感じていたのですね。

 ステロタイプなようでいて、結構ハードな内容ともなりうる考え方なので、どう決着を付けるのかと思いきや、主人公がパラドに永遠の消滅=死を仮想体験させることで「どうだ死ぬのは怖いだろう?生命とはそれほど尊いものなんだ」ということを納得させる、という展開に。いやいや、それはパラドの突きつけた問いに答えていないどころか、尊いと判断した生命にしか価値を認めないという考え方でしょう※、と非常にがっかりした訳です。

 もうひとつは2.ゲンムこと檀黎斗。彼は「エグゼイド世界」のゲームメーカーたる存在でしたが、その主張は「人間の存在意義が意思や記憶にあるのなら、それがデータとして再現されうる限り肉体と等価だ」というものでした。それってイーガンに代表されるような電脳ものSFでは割とポピュラーな考え方ですよね。彼の(肉体を)失った母親への想いなどは膨らませれば面白い要素だったと思うのですが、物語が上記のような結論に収斂していくなかで後景に退いていきました。ここもがっかりポイント。

 本来子供向けの番組ですし、シンプルな勧善懲悪が本分だとすれば必然の展開だったのかもしれませんが、もうちょっと、こう、頑張ってくれてたらなあという残念な気持ちは否めなかったのです。(医療とゲームがモチーフだったけど、医療に携わる者の覚悟みたいな面も、ちょっとびっくりするほど薄っぺらだったしなあ…)。だから、いま放送している『ビルド』はポリティカルサスペンスものとして奮起してほしいと今また期待しています。

※ここらへんは非常に危ういテーマなので、だからこそどう落とし前をつけるのか楽しみにしてたんだけど…

ブレードランナー2049(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)

 最近のリブート的続編にありがちな、ブレードランナーといえばこれでしょ?といった感じの目配せが逆に面倒くさい、という個人的感想はあるものの、お金と手間の掛かったあの世界観の再現は観ていて目に楽しく、長時間も気にならなかったという意味では充分に面白かったといえる気がします。

 自分の中でのこうあってほしい理想の続編スタンスは、夏目漱石の『明暗』に対する水村 美苗の『続明暗』で、それは前作で提示されていた要素から推測される可能性を徹底的に追及して語りおとされていた展開を想像する、というアプローチなのですが、そのような側面は今作にも一応あったものの、食い足りない印象でした。

 公開時は小学生で、実際何を観たかといえば、ご多分に漏れず親に連れられて行った『E.T.』なのですが、映画館内にポスターが貼ってあって、なんかハリソン・フォードが出てるSFがあるんだな(そういえば予告で『物体X』もやってなかったかな・・・すごい年だな)、という漠然とした印象に留まっています。その後ほどなくして、深夜放送で『完全版』を見たり、自分も成長するにつれ小説をいろいろ読むようになって、「ああ、ハードボイルドっていうのはジャンルに拠らず使い減りしない様式だな」と感心してみたり、大学時代に『ディレクターズカット』で再会してこの世界観はやっぱり突出して凄いなと感動したり、リアルタイムで伝説化に立ち会ってきて今に至る次第です。

 というのは完全に余談ですが、オリジナルのどこに惹かれるのか、ということを改めて考えた時、それは先ず「異質なもの(外見もそうですが思考形態の距離感も含めて)に対する本能的な恐怖感」をホラーの感触で描いているという点でした。(具体的には、眼球製作所のシーンやセバスチャン宅の邂逅、タイレルとの対面など。)しかもそれを主人公を含めた登場人物の誰をも一種突き放した演出で語っている。翻るに本作では、開巻間近からあまりに主人公たちに寄り添いすぎているという印象を受けました。オリジナルは果てしなく続く殺伐としたやり取りの末に、最後に生まれるささやかな交情がそのコントラスト故に心を打つのだと思います。(例えば「最高の天使」を自認する執行者ラヴも、記憶が移植できる世界であるならばいくらでも代替可能なはずで、それ故の悲哀も描こうと思えば描けたと思うのですが、「最強の敵」以上のものではありませんでした。)  

 そしてもう一つがディストピアの仮想体験という点。あんないつになったら止むのかわからない暗い酸性雨降りしきる閉塞的な街で暮らすのは絶対に御免だけど、映画を観ている間だけちょっと覗いてみたい、という感覚。しかし本作では(前作とのメリハリを付けるためのあえての判断だと思いますが)冒頭含むいくつかのシーンで開放的なロケーションを選択しているため、前作ほどの絶望感はありませんでした。特にラヴが衛星カメラからの視点で、遠隔ミサイルを撃ち込む(しかも部屋でネイルの手入れをしながら!)というのはSFアクションの一場面としては面白い展開なのだけど、ブレードランナーの世界観に置いてみると「面白すぎるし空間の抜けが良すぎる」ため据わりが悪い。そのような好みからすると、2049の見どころはフォークト=カンプフテストみたいなブレードランナーとしての適合診断の部屋と、いうことになるでしょうか。

 まるでアメリカン・ニューシネマか、というような結末からすると、そもそも続編に自分が求めていた指向が的外れだったんだなとよくわかりましたし、独立したSF作品として観れば色々な映像的試みもあって面白かったのですが※、 これだけ時間が経つとどうしても「ブレードランナー」かくあるべしという作品像が自分の中で凝り固まってしまうので、ないものねだりと知りながらやはり一抹の物足りなさを感じずにはいられませんでした。

☆☆☆1/2

※『her』をバージョンアップするようなラブシーンも面白かったですね。

マグニフィセント・セブン(アントワーン・フークア)

 まずよかったのは、監督が「もし俺に西部劇のオファーがあったら、こんなことをやりたいな…」と思っていたであろうことが、その気持ちが、全部画面に炸裂していたところ。今に続く西部劇の歴史が培ってきた様式美、ケレンが余すところなくサンプリングされていて美しい。屋内で鳴り響く銃声、ドアから出てきたのは悪役、まさか…と次の瞬間崩れ落ちたり、戦闘の冒頭で撃たれたガンマンが、全てが終わった後で、ゆっくり倒れ伏したり。お約束の最終兵器、ガトリングガンもでてくるよ!

 端的に言えば全体がステロタイプなんだけど、物語も人物も「大体皆さんが想像されているとおりです」と大胆に割り切って、バックグラウンドなどをバッサリ刈り込んだ語り口がむしろ清々しかった。むしろその効能として、観客の想像する余地が生まれてよかったのではないか。例えばヒロインのエマと同道するテディは、幼馴染の彼女のことが結婚する前からずっと好きだったんだけど、殺された夫の復讐に飛び出したのを見ていられなくて勇気を振り絞って付いてきたんだな…とかね。

 一応『七人の侍』も原典としている建前だけど、あまりその要素はなかった印象。まあリップサービスでしょう。人物造形にしても、主人公たちは「人殺しの技術」という物騒な能力だけが突出して高い人間であり、南北戦争では偶々脚光を浴びることになったのだけど、本来「平時には持て余されてしまう人間」であって。(ヴァスケスがお尋ね者だったり、南北を敵として戦った者同士がチームを組むという展開がその辺りを強調しているような気がします。)皆、脛に傷を持つ男たちで、一見そうではなさそうな主人公サムですら「7つの州の委任執行官」という名乗りをことあるごとに繰り返す内に、眉唾な感じになってくるのが面白い。そんな彼らが死に場所を求めて集うという物語。

 個人的な一番のお気に入りのシーンは、主人公たちがローズ・クリークに初めて乗り込む時、町を支配するボーグ傘下のガンマンを片づけるくだり。5人くらいやっつけるのかと思いきや、あれよあれよといううちにワラワラ増えてきて、都合30人強を仕留める。それぞれがガンアクションの見事なショーケースになっているんだけど、仲間同士の連携や流麗な繋ぎ方が素晴らしく、ヴァスケスが「俺はこの瞬間をずっと待っていたんだ!」とばかりに叫ぶのが観客のテンションとシンクロして、西部劇として見ても屈指の名場面になっていたと思います。正直、クライマックスの籠城戦よりも興奮しました。

 ・デンゼル・ワシントンの銃捌きの見事なこと。ライフルを収めるだけなのに、所作に色気がある。それだけ見てても元が取れたなあ。

・メキシコ人賞金首ヴァスケスを演じるマヌエル・ガルシア=ルルフォは全然知らない人だったのだけど、愛嬌も雰囲気もあってよかった。これから注目されるのではなかろうか。

・男だらけでむさ苦しい中、華やか方面を一手に引き受けるのがヒロインを演じるヘイリー・ベネットなんだけど、ちょっと引き受け過ぎというか、露出過剰というか。「夫の敵を討つ!って着替えてきたかと思ったら、やっぱり襟元をピラピラさせて。上のボタン留めなさいよ!」と一緒に観ていた妻が義憤に駆られていた。義憤?

 最後あたり、みなさんご存知の通り、仲間が・・・という展開になるんだけど、ずっと泣いていました。最近涙もろくなったなあ。でも、それだけよくできているという証左でもあると思います。

☆☆☆☆1/2